FAQ.01:Why an Asian restaurant?

 

人があまりやっていないことをやっていると、「なぜ?」とよく聞かれます。

実際のところは、感覚で動いている部分もあるので説明できない要素も多いのですが、なんとか答えてみたいと書いてみます。

なぜアジアのレストランなんですか?

このサイトを立ち上げて、いや、それ以前にアジアのレストランを周っていて、もっとも聞かれる質問は「なぜアジアなんですか?」です。「アジアが好きだからですか?」と。

確かに好きです。

でも、世界中に好きな場所はたくさんあります。アジアに属する日本人なので、少しばかりアジアびいきな面はあるでしょうが、あくまで「少しばかり」です。

それに、本当のアジア好きは、伝統料理、郷土料理を追求していくものだと自分の中で勝手に思っているフシがあります。

一方で、ここで扱っているのは、テロワールを大事にしつつも、むしろインターナショナルな料理の方が中心です。

実際、上海に2日間滞在していたのに、中国料理は一切口にせず、フレンチとスパニッシュのみを食べていたなんていう経験は、ザラにあります。

では、なぜアジアのレストランを周り始めたか?

ミもフタもない答えは、「行きやすいから」でした。

飛行機や新幹線を使って国内に旅行するよりも安く行けることが多いですし、全般的に物価が高くなってきているとはいえ、シンガポールや香港以外では、まだまだ東京よりもリーズナブルな料金で食事を楽しめます。

ただ、周って行くうちに、それだけではないことに気づいてきました。

グローバル経済、そして、IT社会の中で、「クリエイティブ」がどんなことができるか?ということが、現在のアジアを体験していくことで、自分にとっては理解しやすいと感じてきたのです。

多少、大げさな話ですが、ここが重要なので、丁寧に書きたいと思います。それには、自分自身のことも説明しないといけないので、少し長くなるかもしれません。

 

西欧と目線が同じになっていく瞬間の快感

私のキャリアは、90年代半ば、洋楽ロック雑誌の編集者・記者としてスタートしました。

当時は無我夢中で仕事をこなしていただけですが、時間が経つと、かけがえのない体験をできたと感じるようになってきました。

何が面白かったかというと、ロックシーンにおいて欧米と日本との目線の高さが同じになった時代だったということに尽きます。

それまでのロックといえば、英米のアーティストが圧倒的な神のような存在でした。

彼らが本物で、極東のアジアでロックを志すなんて、単なるフォロワー、猿真似にすぎないという風潮さえありました。

そのヒエラルキーが崩れ始めたのが、90年代だったのです。

例えば、当時自分が担当していたunderworldのカール・ハイドなどは、特に親日家でした。

彼がロンドンで主宰していたグラフィック集団、tomatoには多くの日本人留学生なども絡んでいたこともあるのでしょう、来日するたびに熱心に日本のカルチャーを吸収しようとしている姿を何度も目撃しています。

ある夏、イビサ島の港町にあるレストランで、イベント出演前のカールに偶然会ったことがあります。

その時、「一緒にパエリアでも食べてく?」と言われたことが印象に残っています。まるで普通の友達のように声をかけられ、当たり前のように、オープンテラスのテーブルを囲んでいたのは、今となっては、白昼夢のような出来事です。

他にも、オルタナティヴなアーティストにインタビューすれば、コーネリアスとはいったい何者なんだ? なんで彼はあんなにファンタスティックな音楽をつくることができるんだ?と逆質問にあっていたような時代でした。

 

その後、私は、建築、デザイン、トラベルなどと、仕事のジャンルを変えていきましたが、先ほど書いた「日本と西欧の目線が同じになる」高揚感みたいなものを追い求めていたのかもしれません。

アートの世界では、フォトグラファーのHIROMIXがポンピドーセンターで展覧会を開いたこともありました。大学で美術史を学んだ身からすれば、「あの聖地、ポンピドーで!」と、驚愕したものです。

仕事では、リチャード・プリンスと村上隆と同じように取材したりしていました。でも、「大竹伸朗の方がすごい」と言うと、ウォルガンフ・ティルマンズから「確かにそうだな」と言葉が返ってくるような時代でした。

建築雑誌で働いていた際には、レム・コールハースと藤森照信を、単に同じ建築家としてしか感じていませんでした。

むしろ欧米のカルチャーを神のように崇拝して10代を過ごしていた自分が、社会人になり、仕事ではジャンルを移すごとに、日本と世界の壁がなくなっていく様を体感していったのです。

そして、料理の分野に

2013年にグルメサイトの編集の職を得ます。食に関しては漠然とした興味はあったのですが、当時はそれほど戦略を持っていたわけではありません。

リーマンショック、東日本大震災ときて、出版メディアが縮小し、職を選り好みしている余裕がなかっただけだけ思っていました。

でも、なんらかの直感は働いていたのでしょう。

一通りの仕事に慣れ、東京のレストランシーンを把握できた頃に、ふと見渡すと、グルメ・シーンにも面白いことが起こっていることに気づいたのです。

それを確信したのは、表参道の『レフェルヴェソンス』だったでしょうか。

何か新しいカルチャーが動いていることを実感します。食の分野では、どう言語化していいかという術は持ち合わせていなかったのですが、それは感覚的に自分にとって非常に馴染みのあるものでした。

そう、90年代の音楽で、00年代のアートや建築で起こっていたような、世界が「同じ目線」になっていくような状況が、10年代の食のジャンルでも見受けられたのです。

またもや自分が関わっているジャンルで起こっていたのです。

なので、現在でも、たとえフランス料理を食べていたとしても、その真髄を「学ぼう」という意識は、それほどありません。

むしろ、ある程度、そんな歴史の重荷から自由であるからこそ追求できる、新しい表現に関心があるのです。だとしたら、ヨーロッパよりも、アジアを知る方が、その空気を感じられるのではないかという気持ちが、徐々に強くなってきていたのです。

あれ!? 冒頭でグローバル経済、IT社会と書いたけれども、それらに触れていませんでしたね。

仰々しいテーマですが、結論は簡単で、そんな時代だからこそ、個を楽しんでいた方が面白いということになります。

 

食におけるグローバル経済の功罪

個人的な直感としては、グローバル経済は、受け入れがたいシステムと感じているのですが、私がどうこう足掻いてみたところで、実際そういう時代です。

そして、いくら否定したいと頭では考えても、その恩恵を受けていることも認めざるをえません。

なぜなら、私が周っているようなアジアのレストランは、グローバル経済の賜物と言える側面があったからです。

グローバル経済の中で、各国内の格差問題は、より深刻になっていく可能性はありますが、アジア各国でも新興富裕層や中産階級が生まれてきたのは、よく知られるところです。

そこで何が現れるかというと、例えば都市部の中産階級は、東京だろうが、上海だろうが、バンコクだろうが、ある程度同じような嗜好を持ってくるということです。

つまり、国を超えた横軸では均一、フラットになっていきます。

同じようなゲームで遊び、同じような音楽を楽しむ感覚が国境を超えていくなら、食に関しても似たようなレベルの店に対する需要が出てくるわけです。

そこで、似たような紋切り型の店ばかりが増えるのであれば、私はグローバル経済を憎み続けるのでしょうが、面白いのは、むしろ同じようなレベルでも似て非なるものを求める土壌が、ここから形成されていると感じるからです。

 

コピペが氾濫する時代なら、求めたいのは、それを超える個性

次に、自分にとって一番身近な文字メディアで、ここ10年あたりに起こってきたことを考えてみます。

WEBが発展していくことによって、一番は顕著な変化はコピペが簡単になったことです。

もちろん、完全なコピペは違法ですし、googleの検索ロジックでもマイナス評価が与えられますが、そこまでいかなくても、一次情報にきちんと触れて作っているメディアは減少傾向なのは間違いありません。

大きな流れには逆らえないものです。

そして、料理でも似たような現象が起きているはずです。

私も片棒を担いでいるかもしれませんが、どこかのお店の素晴らしい料理がSNSで一斉に拡散されます。3年の構想期間をかけ編み出したメニューでも、誰かのFacebookに載れば、「かたち」としては、一瞬で世界に広がっていきます。

これはグルメサイトで働いていた際、調べてみてびっくりしたのですが、テキストと違って、料理には著作権はありません。

つまり、誰かの料理をパクったとしても、法的に咎められることはないのです。

なので、ビジュアル的なセンスのいい料理人であれば、『ノーマ』で出てくる料理と、同じ見た目の料理は、容易に作れるでしょう。

ここに一つの壁があるはずです。

写真をみただけでは、その味はわからないということなのですが、それを乗り越えられる料理人も、現在では出てきている印象を受けます。それなりに知識と技術を持った料理人でないと難しい技ではありますが、そのくらいこなす料理人は増えているでしょう。

 

ただ、それだけでは満足しないのが、ユーザー心理というものです。

ユーザーも賢くなっているので、目の前にある料理の出自を知ってしまえば、そんなコピーに高い金は払いたくないと言うでしょう。

かつては、例えばフランスの三つ星店で修行した料理人だったら、その料理人の味ではなく、「修行した店の料理を出してくれと言われる」とよく聞きましたが、現在ではそんな話は滅多に耳にしません。

やはり、コピーに溢れたフラットな状況だからこそ、その一線を超えた表現は、より一層輝く時代になっていると思うのです。

理想に過ぎた考えかもしれませんが、そう願いたいのです。

となると、上段でも書きましたが、歴史からは自由なアジアの方が、そういった輝きに出会う可能性が高いと感じています。

 

食にライブ感を求めて

こんなことを書いていて、また10年前くらいの音楽の状況を思い出しました。

iTuneが普及し、音楽がダウンロード中心で楽しまれるようになった時代のことです。いろいろな変化がおきましたが、その一つに音源の価格破壊もおきました。

そんな状況の中で、一部の音楽マニアたちに「節約できたお金はどうするの?」と聞くと、こう答えていました。

「ライブに行くね」。

複製可能な情報がここまで極まれば、かえってライブのような一回限りのものの方が貴重だ、と。

今の私には、この考えが非常にフィットします。

食に関しても、こんな感覚で向き合いたいのです。

例えば、同じピッチで毎回“演奏”できるシェフがいれば、それは素晴らしい個性ですし、逆に、時に多少ピッチを外すこともあるけれども、ハマると誰よりもすごいシェフがいれば、それも素晴らしい個性です。

そのシェフ、その店でなければできない何か、それを探すために、また旅に出るのです。